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ソウルミュージック音楽とは?おすすめ名曲や歴史・ゴスペルとの関係

Photo by Richie Lugo on Unsplash

ソウル・ミュージックっていうジャンル、ご存知ですか?
ファンじゃなければ、「耳にしたことはある…」「でもイマイチはっきり分からない」「R&Bと何が違う?なんとなくしかイメージができない!」っていう感じじゃないでしょうか??

音源や動画は見つけられても、そもそもどうやって始まったのか?など歴史背景はなかなかネットでも情報がありません!

実は背景は、当時の黒人の方々のアイデンテティーや葛藤、ゴスペルを裏切る?!などなど、奥深いのです。

そこで、ソウルミュージックの代表曲紹介も含め、発祥から現在にいたる歴史までを、まとめてみました♪

ソウルにはゴスペルの影響がはっきりある!でも同じじゃない

ソウルミュージックの物語は、聖なるゴスペルの血統がリズム&ブルースという俗なる世界と混ざり合っていった過程と広く捉えることができる。

スウィート・ソウル・ミュージック-リズム・アンド・ブルースと南部の自由への夢-

この引用でお気づきかもしれませんが、それまで教会という神聖な場で神をたたえるために「ゴスペル」が歌われていました。

その「神聖」と思われたゴスペルのスタイルを俗化してソウルミュージックが生まれたとイメージするのが分かりやすいと思います。

ゴスペルからの影響がはっきりある!でも同じではない。とはこういうことなのですね。

それでは初めてその「俗化」と言われるソウルを歌ったのは誰でしょう??

ソウルの神さま・レイチャールズ

曲のフォームはブルースで。(ブルースについてはこちら!)
コール&レスポンスを含む歌い方はゴスペル。
でも、歌詞の内容はゴスペルではない…
そんな全く新しい歌い方を生み出したのが、レイ・チャールズでした。

生涯で300曲のブルースを作曲したブルースマン、ビッグ・ビル・ブルーンジーはレイ・チャールズの新たな手法を許しこう言いました。
「あいつの叫び声はありがたすぎるよ。やつはブルースとスピリチュアルズとをごちゃまぜにしているんだ。ああいうのは教会で歌うべきだね」

レイチャールズの初期のソウル・セッションに参加していた女性コーラスの一人が、突然スタジオを出ていったという出来事がありました。彼女はキリスト教への信仰心ゆえ、自分がやっていることが間違っていると思ったそうです。

そのくらいゴスペルとソウルの境界線ははっきりしていましたが、一度生まれたこの新しい波は止まることはありません!

ミスター・ソウル彼のスタートは教会だった
ゴスペル・クワイアの一人として歌っていた
毎週日曜日、彼がソロを取ると
シスターたちは一斉に泣き叫んだ
彼が歌い、タンバリンを打ち鳴らすと
子供たちは聖霊の子のように踊った
礼拝後、彼は牧師に明かしたものだった
自分の夢と計画の全てを……
彼は神のために歌うのをやめ
例のリズム・アンド・ブルースを歌い始めた
それを知った教区の人々は、誰もが胸を痛めた……
いまや彼はスタートして世界を手中に収めたが、
魂(ソウル)を失ってしまった……

アンジェロ・ボンド「He gained the world(but lost his soul)」

「ソウル」というジャンルの誕生

48年から50年にかけてのR&Bチャートは今でいうブルース系音楽で占められていました。変化が起き始めたのは1950年代初頭です。

1954年末、「I've got a woman」が爆発的なヒット!(↑のプレーヤーで視聴できます)これにより、この新たなジャンルが確立されました。ビル・ヘイリー、エルヴィス・プレスリーがそのサウンドを取り入れたアーティストとして登場していきます。

「ソウル」という言葉は市民権を獲得し、これが弾みになり黒人アーティストたちへの扉が開かれます。

ゴスペル歌手にちらつく誘惑

ゴスペルからソウルへの転向は当時、教会側から見ると裏切りでしかなかったと言えます。ソウルミュージックは世俗的な教会、という言い方もされましたが、ゴスペルとは歌詞の内容が決定的に違いました。
神をたたえる内容ではなかったからです。

ほとんどのゴスペルスターがソウルへの境界線を越えることがなかったのは、ゴスペルが40年代末から50年代はじめ、しっかりと人気を確立していたからです。しかしロックンロールが登場し、R&Bが爆発的に流行し、レイチャールズが教会の歌い方を世俗に変え、黒人音楽が白人社会で受け入れられることを目の当たりにして、すべては一変…!

リトル・リチャード(Little Richard)、チャック・ベリー(Chuck Berry)、ビル・ヘイリー( Bill Haley), パット・ブーン(Pat Boone),ファッツ・ドミノ( Fats Domino),コースターズ(Coasters)など数えきれない黒人アーティストたちがこの道に踏み込みはじめます。

ソウル、R&Bフィールドは開かれ、すべてのゴスペルシンガーたちにその道へ行く誘惑がちらつくことになりました。

ゴスペルからソウルの道へ

サムクック(Sam Cooke,1931-64)

サム・クックはポップ界に初めて足を踏み入れたゴスペル界のスターでした。
サム・クックは1931年、ミシシッピ州・シカゴ生まれ、父は牧師でした。10代のころは10代だけで結成されたハイウェイQCズの一員としてゴスペルシンガーがシカゴに来るたび顔を出して歌っていました。19歳でゴスペル・カルテットのソウルスターライズのリードシンガーに。

彼がその境界線を越えたのは57年と遅め。かなり悩んだ末の結果でした。

これがどれだけ重大なことだったか、現代のわたしたちには想像もできない程のことだったようです。
ゴスペル界の忠誠心は圧倒的でした。
ゴスペルのリード・シンガーとして憧れの的だった彼が、その世界では「悪魔の音楽」と呼ばれるところの「ソウル」に身を投じる、いわば「事件」でした。
しかし33歳の若さで生涯を終えます。モーテルに連れ込んだ女性が逃げ、追いかけた先でモーテルの管理人に射殺され、亡くなったと言われています。

You and me、A Change Is Gonna Come、Wonderful Worldなどが有名な曲です。

ゴスペル精神を貫くソウルの女王
アレサ・フランクリン (Aretha Franklin,1942-2018)

偉大なソウル歌手です!まさにレディーオブソウルと呼ばれています。
4オクターブを超える音域を駆使する伝説的アーティスト!
有名なキリスト教の説教師だったC・Lフランクリンを父に持ちます。

メンフィスに生まれ、バッファローとデトロイトで育ち、少女のころにすでにシンガーとしての才能を開花していました。

父親は黒人バプティスト派の有力メンバーだったので、アレサの家は音楽とミュージシャンで溢れていました。ゴスペル時代のサム・クック、ジャッキーウィルスン、マヘリア・ジャクスン、クララウォードなどとも交流がありました。
(この↑あたりの歌手らについては別途また記事をまとめたいと思っています!)

アレサはソウル歌手のスーパースターで数々の名唱を残したジャズシンガーでもあります。そして、優れたゴスペル歌手です。 ピアノはゴスペル界の大物ジェイムズ・クリーヴランド(James Cleveland,1931-91)から手ほどきをうけています。

最初のレコーディングは14歳のとき!Songs of Faithが初アルバムです。教会でのライブアルバムですが、14歳とは思えないほど堂々としています。是非聞いてみてください♪↑
Respectは女性の権利を主張する歌のさきがけになりました。 実はもともとはオーティス・レディング(Otis Redding,1941-67)の曲だったRespect、男性目線の曲がアレサがカバーし歌詞にアレンジを加え、女性の人権を訴える象徴の曲として大ヒットしたそうです。オーティスもこの曲を歌う時、「僕のいい友達が盗んでいった曲」と紹介したそうです。いい話ですね。

彼女はソウルの世界に行き、ゴスペルに戻り、またソウルへ、を繰り返していました。
「教会とゴスペルが私のルーツなの」というだけあり、アレサのゴスペルは生命感に満ち溢れています。
しかしゴスペルを離れポピュラーミュージックを歌ったとして、教会からは批判も受けていました。

それでも彼女が歌うのはソウルであり、ゴスペル。
愛のために歌うという意思がありました。
父親を通じてキング牧師に莫大な運動資金を渡すなど、教会やキング牧師の活動にかなり尽力していました。
リスペクト(Respect)、ピープル・ゲット・レディ(People Get Ready)のカバーは公民権運動のアンセムになり、ナチュラル・ウーマン(Natural Woman)はフェミニズムの運動を推し進めたと言われています。

その他、ソウル・ミュージックのアーティスト紹介!

オーティス・レディング (Otis Redding 1941-67)

バプティスト教会の牧師の息子で、常にゴスペルのそばで育ち、魂のこもったサウンドで、まずアメリカ南部、イギリスで人気を得、有名歌手ばかり登場した 『モンタレー・ポップ・フェスティバル』 で歌う機会を得た一夜で一挙スーパースターの仲間入りをしました。あのボブディランも、オーティスのステージを見てひどく感動したそうです。

Mr.Pitifulは、「ピティフル(哀しげ)な歌声」とメンフィスのDJに言われて書き上げたそう。 I’ve Been Loving You Too Long、Dock Of The Bayなどがとても有名な曲です。

なんと、購入したばかりの自家用機が墜落し26歳で亡くなります。
進んで白人たちの前で歌い黒人との間に橋を架けたことが功績と言われています。

マーヴィン・ゲイ(Marvin Gay,1939-84)

What's Going On? はベトナム戦争での悲惨さを弟から聞き作った曲です。
悲しいうわさ など数々の名曲があります。
モータウンの数々の巨星のトップと言える人です。
実の父の手で銃殺され亡くなりました。

シカゴ・ソウルの創始者
カーティス・メイフィールド( Curtis Mayfield, 1942-99 )

60年代、ソングライター、プロデューサー、ギタリストとして大活躍しました。ゴスペル出身のシンガーです。
People Get Readyは公民権運動を背景にヒット。
歌詞の中に非暴力主義があり、敵の中に善を見出そうとする態度があります。I'm So Proudをはじめ、彼のつくるラブソングは献身的で愛情にあふれています。

ソウルの代表レコード会社 : モータウンとスタックス

ソウルミュージックの勢いは、レコード会社の躍進につながりました。
モータウン(Motown)とメンフィスのスタックス・レコード(Stax)が代表格です。
北部のモータウンは白人目線のポップス路線をとり、南部のスタックスは泥臭い路線をとりました。ともに白人マーケットに狙いを定めてのことでした。
ブラックカルチャーをアメリカンカルチャーにするには、白人に受け入れられなければなりませんでした。

白人マーケットに進出するための工夫

60年代半ば頃まで、白人が黒人のレコードを買うことにはかなりの抵抗がありました。黒人音楽はレイス・ミュージックとして隔離されていました。

レコード会社はアルバムカバーに白人の写真を入れたり、ポップなイラストを入れたりして黒人であることを隠そうとしていました。

モータウンのノーザンソウル、スタックスのサザンソウル、ともに人種や国境の壁を超えていきます。ソウルは白人の心を躍らせました。

おすすめのゴスペル・ソウル♪

ナオミ・シェルトン(Naomi Shelton,1942-)

現在はもう70代!とは思えないほどの力強さを色あせず見せている歌手です。
古いものと新しいものをご紹介♪

2009年

2014年

ソウル・ミュージックとは?

・ゴスペルは教会で神をたたえる音楽ですが、ソウル・ミュージックは、そのスタイルを世俗化させた、基本的には大衆音楽です。
・レイ・チャールズが火つけ役!
・それに続けとソウルへの道を進んだゴスペル歌手も続出。
・ソウルの女王アレサ・フランクリンはルーツであるゴスペルもソウルも貫いた!

ソウル・ミュージックは黒人音楽が市民権を得たジャンル!
そのころにあった白人文化を優位に見るという前提を疑問視し、黒人が自己肯定の思想を叫び打ち出し生んだ魂(ソウル)の音楽です。
黒人アーティストがその与えられた賜物を大いに発揮し輝いているのを、当時のどの黒人発信の音楽にもあったように白人がそれを使い、彼らの音楽かのように世に広めるということが繰り返されました。
その後ファンクへの展開など、ソウルを含むR&Bは変化しつづけていますが、現代にも衰えることなく生き続けています。

*参考図書*
・ジェームス・M・バーダマン, 里中 哲彦『はじめてのアメリカ音楽史』、ちくま新書、2018年
・ ピーター・ギュラルニック/著 新井崇嗣/訳『スウィートソウルミュージックリズムアンドブルースと南部の自由への夢』、 シンコーミュージック・エンタテイメント 、2005年

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