2019年2月15日
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ブルース音楽って?聞いたことはあるけど、どんな音楽かと聞かれても説明できない…大丈夫です!実は音楽をやっていてもちゃんと説明できる人は少ないのです。
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でもブルースがなければ現代のポピュラーミュージックは存在しない!と言っても過言ではないほど、重要な役割を果たすジャンルです。なぜそんなに特別なのか?ブルースについて、発祥や変化の歴史をたどっていきたいと思います。
ブルースは、19世紀後半にアメリカ深南部で奴隷としてアフリカから連れてこられたアフリカ系アメリカ人とその子孫から生まれた音楽・楽式の一種です。苦しんだ彼らにしか生み出すことのできなかった切なさやアフリカ出身ならではのスタイルがあります。
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ブルース「BLUES」にはブルーな気分、悲しみや落ち込みという意味があり、パーソナル・コメンタリー=「自分自身の言葉⁼魂の叫び」を歌います。黒人奴隷や子孫たちが追いやられた残酷な環境下での叫びが歌となったのです。
後にブルースから生まれるジャズはソーシャル・コメンタリー=「社会・社交の言葉」と言われています。ジャズをするにはブルースをまず学ぶように!とよく聞く理由は、音階など物理的な意味以上に、ジャズが社会の歌であってもそのただ中にいる自分の声・叫びを歌うため、ブルースで自分の声を表現する力を持たなければならないからです。
ブルースは黒人霊歌・フィールドハラー、ワーク・ソング(後に説明)から発展したものと言われ、ジャズやロックもブルースから生まれました。彼らは貧しかったため、比較的手に入れやすかったギターでの弾き語りスタイルが最も知られています。アコースティック・ギターの弾き語りを基本とした、カントリー・ブルース、エレキギターを使用したバンド形式に発展したシカゴ・ブルースやピアノのブルースなどその後多様に展開しています。ブルースは地域で歌い継がれた歴史もあるため地域によって違った特徴があります。
ブルースの起源と定義は、黒人の苦難と切り離しては理解することができません。
アメリカでは、1640年代から1865年(アメリカ合衆国憲法修正第13条成立)まで合法的に奴隷制度というものがありました。この奴隷制度によって、アフリカから奴隷貿易によって多くの黒人がアメリカに強制的に連れてこられ、奴隷として綿花のプランテーションなどで働かされ、船でアフリカからアメリカへ連れられる時にはこのように詰めこまれ、つながれていました。
ブルースは黒人奴隷たちが畑仕事など貧しく過酷な労働を余儀なくされ、苦労の中で故郷を想い、故郷の旋律で歌を歌っていたことが始まりとされています。
当時の黒人たちが彼らの存在への戦いのただ中でつくりだした音楽であることを認識せずには、ブルースを歌うことは不可能だと言う人もいます。
「彼らは苦しみ傷ついた。だが、その苦悩を互いに分かち合うことによって、(中略)
「黒人霊歌とブルース」
存在することができた。」その表現がブルースだったのです。
初期のブルースは、アフリカから持ち込んだコール&レスポンス、黒人霊歌、教会旋法が使われた讃美歌のメロディなどの要素全てが合わさったものです。
元となったのは故郷で歌っていたワークソング、フィールドハラーなど伝統のコール&レスポンス(呼びかけと応答)」形式の音楽です。
労働時のかけ声のような感じで歌われていたもの。木を切る、船を漕ぐなど大勢での作業時にリズムをとるために用いられていたようです。
各々が別の場所で働く場で歌われたものです。ワークソングと違うのは、リズムがないということ。誰の歌に対して違う場所の誰かが歌って応答、という風に自由に思いつくまま歌うスタイルです。
これら二つのスタイルがのちのブルースの歌メロの原型となったようです。
フィールド・ハラーのハラーは個人の叫びと訳されます。昔から地域社会にとって音楽はただ楽しむためのものではなく、厳しい生活を一時忘れるための逃避の手段でもあったのです。
奴隷としての過酷な労働の中、キリスト教に出会った黒人らが、神が必ず救い出して下さるという信仰によって長い時間をかけ独自のスタイルでつくりあげた歌唱スタイルが、黒人霊歌です。
コール&レスポンスにキリスト教の古い讃美歌、中でも特に18世紀イギリスの(非国教会の)牧師で讃美歌作家だったアイザック・ウォッツの作った讃美歌を融合させたものが多いです。
ブルースの起源は1900年代前半、奴隷解放後30年が経過した頃です。ブルースにヨーロッパの要素があると言うと意外と思われることが多いですが、ブルースという音楽はアフリカ音楽自体ではなく、アメリカへ連れてこられた黒人の子どもや孫の代に渡ってアメリカ国内で徐々に作り上げられていったものです。一世紀もの時間が経過していたので実は不思議ではありません。
1930年以降「ブルーノート」として知られるようになった「ミ」と「シ」が半音下がる音階は初めから変わらない特徴でしたが、実はミとシの音が半音下がるというのはテューダー朝(15世紀末から16世紀のイギリスの王朝)時代よりはるかに前からアングロサクソン(ゲルマン系部族)やケルト民族音楽の特徴でもあったのです。
有名な「グリーンスリーヴス」も、メロディー上昇時はシの音が半音上がり、下降時はシの音が半音下がります。ピーター・ファン=デル=マーヴェの「ポピュラー音楽の基礎理論」でも、アングロサクソンやケルトの民族音楽がブルースに与えた影響は大きいと書かれています。
黒人奴隷制度はアメリカのイメージが強いですが、ヨーロッパにもあった制度。見落としがちなのは、アメリカの黒人奴隷たちの中にはイギリス諸島から連れてこられた人々が相当数いたということです。数が多いため影響が大きく、彼らも底辺層の生活の辛さ、惨めさを嘆く歌を歌っていました。
17世紀の有名な民謡「むごい船大工」「プリティ・ポリー」にも12小節のパターンを何度も繰り返す形式の原型が見られます。これが19世紀のワークソング(労働歌)である「かわいそうなラザラス」(「オーブラザー、お前はどこに?」とも知られる)を経由してブルースに影響しました。
「スティール・ドライヴィング・マン−ジョン・ヘンリーのバラード」は19世紀のアメリカのワークソングで代表的なものです。これ自体がブルースのスタンダードで、この歌の形式はザ・バーミンガムボーイズといったイギリスのバラードに由来します。ジョン・ヘンリーは黒人の鉄道作業員で、労働者の英雄として有名。この歌のテーマは、鉄道作業員とそれに取って代わる存在として現れた新鋭の機械との間の争いがテーマです。
黒人霊歌は時を経てついに白人社会へ進出していきます。しかし、社会の底辺に置かれた人々の優れた音楽は、上層社会から搾取されることとなります。
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黒人霊歌はただ地域で歌い継がれるだけで、長い間白人社会で知られることはありませんでした。そこに新しい風を吹かせたのが、テネシー州ナシュビル・フィスク大学の黒人学生で結成された「ジュビリー・シンガーズ」です。1860年代後半から黒人奴隷の子孫が結成した合唱団の持つレパートリーの多さは黒人霊歌を急速に各地へ広めることとなります。
学校の運営費のためアメリカ各地を巡業しますが、間もなくヨーロッパも巡業するようになります。特にイギリスでは最初の単独公演がタイムズ紙など数誌に取り上げられ、またヴィクトリア女王の前で「イエスのそばへのがれて行こう」、「行け、モーゼ」を歌ったことも数日後に報じられます。ウェールズ大広夫妻やグラッドストン首相の前でも演奏をし、首相本人から共に朝食を食べたいという手紙まで送られたそうです。有名になる前には黒人差別で乗車を拒否された汽車でも、一等席へ案内されました。
「大学では名状しがたい歓喜と感謝を持って迎えられ、『涙とともに出立し、札束余携えて還りし』と沸き立ち、黒人であるがゆえの驚くべき忍耐と欠乏に打ち勝ち、
ハワードグッドール『音楽の進化史』
黒人音楽への驚くべき賞賛と勝利の旅であった。」
イギリスで奴隷制廃止法が成立してから40年後のことでした。
大きなきっかけを作ったジュビリー・シンガーズのアルバムを紹介します♪
初期ブルースは他の音楽とは違う独自の音楽でしたが、20世紀に入りポピュラー音楽が急速に成長していくと、「音楽の所有権」について何度も問題が起こります。黒人のミュージシャンは、貧しく無名でありながら、その音楽の質が圧倒的であるがゆえ、白人ミュージシャンに何度も無断で利用され、報酬もなかったということが頻発するようになります。
では実際ブルースはどんなスタイルだったのでしょうか?ブルースは地域の中で歌い継がれた時代が長く、地域ごとに白人音楽の影響を受けているかによっても特徴が違います。奴隷制廃止後、都市部へ出稼ぎに出ると、ブルースも発展を遂げていきます。紹介楽曲の一部には、BCIのギタリストのカバーも載せています!是非聴いてみてくださいね!
奴隷解放後も黒人差別が依然として厳しかった地域なので白人文化の影響が少なく、アフリカ・スタイルが強いソウルフルな歌い方や曲調が特徴です。打楽器を使いリズムも激しく、12小節の枠にとらわれず、ハラー(ホラー、叫び)の歌唱法でヒステリックな印象です。アフリカ民族色の強いソウルフルな歌い方や曲調が特徴となっています。代表的なミュージシャンとして、デルタ・ブルースの創始者ともいわれるチャーリー・パットン、伝説のブルースマンとして広く知られるロバート・ジョンソン、そんなロバート・ジョンソンに影響を与えたサン・ハウスなどがあげられ、ロバート・ジョンソンに関しては代表アーティスト項目、サン・ハウスに関しては後ほどゴスペルブルースの項目でも取り上げています。
チャーリー・パットン/スプーンフル・ブルース
Charley Patton - Spoonful Blues 1929年
ロバート・ジョンソン/クロスロード
Robert Johnson - Cross Road 1936年
デルタ・ブルースの代表アーティスト。多くのアーティストが彼に魅了され、その後発展するロックにも多大な影響を与えたと言われています。27歳という若さで亡くなりましたが、今でも伝説のブルース歌手です。
ミシシッピに比べ、テキサスは解放宣言以前から解放政策があった地域なので、12小節から大きく外れることなく、歌とギターのコール&レスポンスがはっきりしていてメロディーも現在のブルースに比較的近いスタイルです。ミシシッピデルタより泥臭くないようです。代表的なブルースミュージシャンとして、生まれながらにして盲目だった戦前ブルースの巨人ブラインド・レモン・ジェファーソン、楽器は弾かず歌のみで勝負していたテキサス・アレキサンダー、1940年以降ならライトニン・ホプキンスなど。
代表的なブルースミュージシャンは、12弦ギターの名手ブラインド・ウィリー・マクテル、ラグタイムブルースの凄腕ギタリストブラインド・ブレイク、いろいろなスタイルで演奏できたとされるブラインド・ボーイ・フラーなど。
第一次世界大戦(1914~1918)の時から、南部の黒人たちはシカゴなどの北部の都市へ仕事を求め移動していきます。シティ・ブルースはカントリー・ブルースのように男性がギターで弾き語りをするスタイル。
このスタイルが一番発展を見せました。女性中心でピアノやビッグバンドをバックに歌いあげるスタイルで、カントリーブルースにエンターテイメント性を与えたもの。マミー・スミスの「That Called Love」は初めてレコード化された記念すべきブルースです。
(1940年代初頭~)
他の黒人たち同様デルタのブルースマンたちがシカゴへ移住してきました「。当時のマックスウェルズ・ストリートはストリートミュージシャンで溢れかえりその中から後のシカゴブルースを代表するブルースマンが誕生します。マディー・ウォーターズもミシシッピからシカゴへ移住した一人。当時流行していたシティ・ブルースとデルタ・スタイルを融合することでシカゴ・ブルースを確立しました。
黒人が北部や西部の都市に大移動したことで、テキサスからウエストコースト地域で生まれた新たなブルース・スタイルです。ジャズとの繋がりがより深まったスタイルですが、クラシック・ブルースに比べジャズに寄りすぎることもなく、シティ・ブルースほど弾き語りのみにこだわったものでもありません。代表アーティストであるTボーン・ウォーカーはコンボを叩くバンドをバックにギターソロを弾くなどロックに通じるスタイルを確立しました。
T-ボーン・ウォーカー/ストーミー・マンデー・ブルース
Stormy Monday Blues - T-Bone Walker (1943年)
前述のアーバンブルースの代表アーティストであり、モダン・ブルースの父とも呼ばれています。
このころにはラジオなども普及し地域ごとに特徴があったブルースもB.Bキングらの手により次第に統合され、モダン・ブルースと呼ばれるようになります。大人っぽさがあり、下記に紹介する現代のブルースで、リズム&ブルース以降を指すスタイルです。シティ・シカゴ・アーバンの流れを受けています。
B.B.キング、アルバートキング、フレディ・キング(=通称「三大キング」)などを含む、いわゆる現代のブルースの総称です。一般にはリズム&ブルース以降を指すようですね。
この辺りはもはやブルース・ロックであり、ブルースをルーツに持つとはいえもはや別ジャンルにも感じられます。※この時代にはすでにロックンロールもロックも誕生しています。
ゴスペル・ブルースって知っていますか?ブルースのルーツはゴスペルなので、当然と言えば当然、ゴスペル要素のあるブルースも多く歌われていました。ブルースが持つ切なさや深みが、力強い歌声とともに神への想いに重なります。代表的アーティストや楽曲を少し紹介していきます。
ミシシッピ・ブルースのミュージシャンとも知られているが、むしろギター・エヴァンジェリストという方が正しいくらい、彼の生涯の楽曲全てがゴスペル、神への賛歌です。
その後様々なアーティストもカバーし録音したトラディショナルなゴスペル・ブルースです!
熱心なキリスト教徒で、牧師をしていたこともあるサン・ハウス。当時教会からは悪魔の音楽と言われていたブルース音楽とは一線を画していましたが、ついにギターに触れ、ブルースを学ぶようになります。ギターのテクニックも歌も独創的で、現在も愛されるミュージシャンです。前述の"John the Revelator"もカバーしかっこよく歌い上げています。
デルタ・ブルースの土台を築いたと言われるアーティスト。ロックの基盤となったミシシッピ河デルタ地帯のブルースの中心にいたパットンは偉大な存在でした。
・ハワードグッドール『音楽の進化史』、河出書房新社、2014年。
・ジェイムズ・H・コーン『黒人霊歌とブルース-アメリカ黒人の信仰と神学-』、信教出版社、1983年。
・藤田正、中村正利『SHINKO MUSIC MOOK THE DIG presents -ブルースの百年-』、シンコー・ミュージック・エンターテイメント、2014年。
・『ニューグローヴ世界音楽大事典』、講談社、2001年。
*参考Webページ*
林正樹ホームページ「戦前ブルース入門」
<http://hayashimasaki.net/blueslecture/index.php?id=8>
a-ki’s factory「ブルースの歴史と偉人伝」
<https://www.aki-f.com/kouza/academy/>
ジュビリー・シンガーズ
<http://www.poporo.ne.jp/~man/jub/index.htm>
Top Blues Gospel Artists/Last,fm
https://www.last.fm/tag/gospel+blues/artists
戦前ブルースのギター伝道師たち
https://merurido.jp/item.php?ky=WNSI1104
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